2020年7月にEUは「A hydrogen strategy for a climate-neutral Europe(欧州気候中立のための水素戦略)」を発表し、2050年のカーボンニュートラルに向けて水素が必須であることを強調しました。日本においても、2020年12月に経済産業省より「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」が発表され、水素がカーボンニュートラル実現の戦略の柱の1つとなってます。今回は、カーボンニュートラルになぜ水素が必要なのか?について解説します。
カーボンニュートラルについて詳しく知りたい方は以下の記事をご参照ください。
CO₂の排出量ゼロは実現するか?2050年に世界が実現すべきカーボンニュートラルとは
<目次>
・カーボンニュートラルの実現に向けたトリガー
・カーボンニュートラルの実現に向けた理想、課題、解決策
・水素の性質
・再生可能エネルギーの貯蔵手段としての水素
・欧州の水素戦略
・日本の水素戦略
・水素普及に向けた課題
水素の話に入る前に、カーボンニュートラルの実現に向けた課題・解決策の全体像をざっくりと以下のようにまとめました。
(※)エネルギー転換部門:電力会社などエネルギーを商品として販売している主体
(※)産業、運輸、業務部門:エネルギー転換部門以外の企業
まず、カーボンニュートラルの実現に向けた3つのトリガーは以下です。
<カーボンニュートラルに向けた3つのトリガー>
1. 世界各国による2050年の脱炭素に関する目標
2. 投資家による3,300規模となるESG投資
3. 消費者のSDGs意識の高まり
1つ目は、パリ協定のもとで世界各国が掲げている脱炭素の目標です。多くの国が2050年の温室効果ガスの排出実質ゼロに向けて動き出しています。この国の方針がエネルギー供給部門(電力会社など)やエネルギー需要部門(主に産業)が動き出すトリガーとなります。特に上場している大企業は、国が脱炭素社会を目指している中で、これまで通りCO₂の排出を続けていくことは経営上難しいかと思います。なお、そもそも1のトリガーとなっているのは、地球の温度上昇などのファクトとなるデータがあります。
2つ目は、3,300兆円規模にもなるESG投資です。ESG投資やESG投資の中のESG債については、以下の記事に詳しく記載してます。
年率59%で成長するESG債とは?脱炭素経営で企業の資金調達が変わる
カーボンニュートラルに向けてCO₂の排出削減などの経営努力をしている会社にはお金が集まり、そうでない会社にはお金が集まらない社会になりつつあるということです。これがトリガーとなり、エネルギー転換部門(電力会社など)や産業・運輸・業務部門が脱炭素経営に向けたアクションを促すことになります。
3つ目は、1つ目と2つ目よりは現状弱いかもしれませんが、消費者のSDGs意識の高まりです。最終消費者が物やサービスを購入する際の判断軸に、地球環境問題への貢献を入れるようになれば、それがプレッシャーとなり企業活動が変わることが予想されます。
これ以外にも、各排出者同士がトリガーになるケースもあります。例えば、産業・運輸・業務部門部門が脱炭素経営を目指し再生可能エネルギーを購入するようになれば、エネルギー転換部門は再生可能エネルギーの比率を高めるよう動くことが予想できます。
また、仮にエネルギー転換部門(電力会社など)がすべてのエネルギーを再生可能エネルギーにすれば、産業・運輸・業務部門は自動的に再生可能エネルギーを購入するようになります。
カーボンニュートラルに向けた理想の姿は、地球上で使われるエネルギーの100%が再生可能エネルギーとなることです。つまり、エネルギー転換部門は製造するエネルギーの100%を再生可能エネルギーとし、産業・運輸・業務部門、家庭部門は購入するエネルギーの100%を再生可能エネルギーとすることです。
独アゴラ・エナギーヴェンデと英エンバーの調査によると、最も再生エネルギーが浸透している欧州では、2020年に総発電量に占める再生可能エネルギーの比率が38%となり、化石燃料の比率37%を超えました(*)。
(*)The European Power Sector in 2020より
しかし、そんなEUでさえも電力需要の100%をすぐに再生可能エネルギーで補えるとは考えていません。
再生可能エネルギーには「供給不安定性」という課題があります。例えば、太陽光発電は太陽の日が出ている日中しか発電できず、夜間の電力需要には対応できません。また、風力発電も風が吹いている時しか発電できません。つまり、「どのように再生可能エネルギーの供給不安定性を解消し、電力需要を補うか?」という課題を解決しなければならないのです。
そして、供給不安定性を解消するためには、再生可能エネルギーが過剰供給の際に何かしらの方法で蓄えておき、供給が少なくなった時に蓄えを使う必要があります。そのために注目されているのが蓄電池であり、水素です。2020年7月にEUも「A hydrogen strategy for a climate-neutral Europe(欧州気候中立のための水素戦略)」を発表し、脱炭素社会に向けて水素を活用していく方針を明らかにしています。
水素は水素原子が2つ集まったH₂です。水素の重要な性質は、燃焼してもCO₂を発生しないということです。
水素の燃焼の熱化学方程式は上記となります。
これは、水素(H₂)が酸素(O₂)と結びついて燃焼し(酸化反応を起こし)、水(H₂O)と572KJの熱エネルギーを生み出すことを表しています。化石燃料等の燃焼であれば、エネルギーを生み出すと同時にCO₂を発生させます。しかし、水素は熱エネルギーを発生する際にCO₂を発生せず、水を発生するのです。
この性質を使えば、CO₂を発生させずに熱エネルギーを生み出すことが可能になり、脱酸素社会に大きく貢献することが想像できるでしょう。
先ほど、水素は再生可能エネルギーの供給不安定性という課題を解消するために、再生可能エネルギーの貯蔵手段として注目されていると述べました。これはどういうことでしょうか。
水素の製造方法は、大きく2つに分類できます。
1. 化石資源から水素を製造する
2. 再生可能エネルギーから水素を製造する
1つ目の化石資源から水素を製造する方法は、ここでは詳しく説明しませんが、メタン(CH₄)などの炭化水素を水蒸気と触媒反応させて水素を得るといった方法です。製油所やアンモニア製造所における水素製造装置にも用いられてます。
そして、2つ目は再生可能エネルギーを活用して水素を製造する方法で、何種類かの技術があります。有名なのは水電解と呼ばれる方法で、水を電気化学的に分解して水素を発生させます。
この際に加える電気を再生可能エネルギーから得れば、再生可能エネルギーを水素に転換することができるのです。なお、水素をエネルギー需要地に輸送するためには、キャリアに変換します。圧縮水素、液化水素、有機ハイドライド、アンモニア、メタン、などのキャリアがあり、それぞれ特徴があります。
EUの「A hydrogen strategy for a climate-neutral Europe(欧州気候中立のための水素戦略)」の中から抜粋すると、水素や水素キャリアの将来的な使い道としては以下を想定していると予測できます。
・再生可能エネルギーの供給が落ちる時間帯の発電
・長距離輸送用の燃料電池車(水素自動車)の燃料
・船の燃料
・鉄鋼の製造
・化学品の製造
なお、生成した再生可能エネルギーを水素や水素キャリアとし、その後エネルギーとして活用する上記プロセスではCO₂をほぼ排出しません。そのため、再生可能エネルギーの直接的な利用と水素利用を組み合わせることで、カーボンニュートラルに大きく近づくと言えます。
以下、2020年7月にEUより発表された「A hydrogen strategy for a climate-neutral Europe(欧州気候中立のための水素戦略)」からEUの水素戦略の概要を抜粋します。
2030年までに欧州域内に40GW、ウクライナや北アフリカの欧州域外で40GWの電気分解装置を導入するという意味です。
(*)再生可能水素とは、再生可能エネルギーを使用して水を電気分解して作られる水素のこと。
1. 2030年までに電気分解装置に240億ユーロ~420億ユーロ。
2. 電気分解装置で使う太陽光および風力エネルギーの生産と連結に、2,200~3,400憶ユーロ。
3. 既存の半分の発電所に炭素回収・貯蔵設備を導入するために、110億ユーロ。
4. 水素の輸送・流通・貯蔵・水素充填ステーションに650憶ユーロ。
5.これらを含み、水素関連の生産能力への投資は、2050年までに1,800~4,700億ユーロ。
この他に、最終消費分野を水素や水素ベースの燃料に適応させるための多額の投資も見込んでいます。凄まじい投資規模を想定していることが分かります。
・欧州クリーン・ハイドロジェン・アライアンスを通じ、水素の製造・利用を促進するための投資議題を作成し、具体的なプロジェクトの計画を構築する(2020年末まで)。
・欧州委員会の復興計画(特にStrategic European Investment Window of InvestEUを通じた)に沿って、クリーン水素への戦略的投資を支援する(2021年以降)。
・欧州委員会の「Sustainable and Smart Mobility Strategy」および関連する政策において、運輸部門での水素の利用を促進するための方策を提案する(2020年)。
・Renewable Energy Directiveの規定に基づいて、再生可能水素の最終用途部門における需要側の政策を含む追加支援策を模索する(2021年6月まで)。
・ライフサイクル全体の温室効果ガスのパフォーマンスに基づいた、水素製造装置の導入促進のための共通の低炭素基準を導入する作業を行う(2021 年 6 月まで)。
・再生可能・低炭素水素の認証のための包括的な用語と欧州共通の基準を導入する作業を行う(2021 年 6 月まで)。
・特に低炭素・循環型の鉄鋼や基礎化学品の生産を支援するために、Carbon Contracts for Difference programmeのパイロットスキームを(できればEUレベルで)開発する。
・TYNDPsを含む水素ステーションのネットワーク計画を考慮した水素インフラの計画を開始する(2021 年)。
・代替燃料インフラストラクチャ指令(Alternative Fuels Infrastructure Directive)および欧州横断輸送ネットワーク(TransEuropean Transport Network)の規制の改正を通じて、異なる燃料供給インフラの展開を加速する(2021年)。
・効率的な水素インフラ整備(再利用など)のための障壁を除去するなど、水素の導入を可能にする市場ルールをデザインする。それにより、水素製造者や顧客が液体市場へアクセスできるようにし、EU内のガス市場の健全性を確保する(2021年)。
・ホライゾン2020の欧州グリーンディールの一環として、100MWの電気分解装置、グリーン空港、グリーン港の提案募集を開始する(2020年3Q)。
・再生可能水素の製造、貯蔵、輸送、流通、そして再生可能水素を競争力のある価格で提供するための主要部品に焦点を当てた、クリーン水素パートナーシップ(Clean Hydrogen Parnership)を設立する(2021年)。
・SET計画と連携して、水素のバリューチェーンを支える主要なパイロットプロジェクトの開発を促進する(2020年以降)。
・ETSイノベーションファンドの提案募集の開始を通じ、革新的な水素技術の実証を促進する(2020年7月)。
・炭素集約地域でのEUの結束政策(cohesion policy)に基づく水素技術に関する地域間イノベーションのパイロット・アクションの募集を開始する(2020年)。
・水素の技術基準、規制、定義に関する国際フォーラムにおける EU のリーダーシップを強化する。
・ミッション・イノベーション(MI2)の次期任務の中での水素ミッションを発展させる。
・再生可能エネルギーと水素に関して、ウクライナをはじめとする南と東の隣国やエネルギー共同体諸国との協力を促進する。
・アフリカ欧州グリーンエネルギーイニシアティブ(Africa-Europe Green Energy Initiative)の枠組みの中で、アフリカ連合と再生可能水素に関する協調プロセスを設定する。
・2021年までにユーロ建て取引のベンチマークを開発する。
以下、2020年12月に経済産業省より発表された「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」から日本の水素戦略の概要を抜粋します。
・2030年に導入量は最大300万トン、コストは30円/N㎥とする。
・2050年に導入量は最大2,000万トン、コストは20円/N㎥とする。
実行計画により社会実装が順調に進むことを前提として、2050年時点で総エネルギー供給に占める水素・アンモニアの比率を10%を参考値として設定する。
・水素発電タービンの世界市場は、2050年時点で累積容量は最大約3億kW(タービン市場は最大約23兆円)と予測。
・実機での安定燃焼性の実証を支援し、商用化を加速。
・電力会社へのカーボンフリー電力の調達義務化と、取引市場の活用。再エネ、原子力と並んで、カーボンフリー電源としての水素を評価し、水素を活用すればインセンティブを受け取れる電力市場を整備。
・FCトラックの世界市場は、2050年時点でストックで最大1,500万台(約300兆円)と予測。
・FCトラックの実証による商用化の加速、電動化の推進を行う一環での導入支援策の検討。
・水素ステーション開発・整備支援、規制改革(水素タンクの昇圧)によるコスト削減の検討。
・ゼロエミッション鉄の世界市場は、2050年時点で最大約5億トン/年(約40兆円/年)と予測。
・水素還元製鉄の技術開発支援。
・トップランナー制度による導入促進・国際競争力の観点から、内外一体の産業政策として国境調整措置を検討。
・国際水素取引の世界市場は、2050年時点で約5.5兆円/年(取引量:最大5,500万t/年)と予測。
・更なる水素コスト低減に資する大型化を実証や需要創出で支援し、2030年までに商用化(2030年30円/Nm3の供給コスト目標達成)。
・関連機器(液化水素運搬船から受入基地に水素を移すローディングアームなど)の国際標準化。
・海外での積出港の整備に対する出資の検討並びに国内港湾における技術基準の見直し等の検討。
・水素電解装置の世界市場は、2050年までに毎年平均88GW分(約4.4兆円/年)の導入と予測。
・大型化や要素技術の製品実装を通じたコスト低減による国際競争力強化。
・海外市場への参入障壁を低下させるべく、欧州等と同じ環境下における水電解装置の性能評価を国内で実施(欧州は日本よりも装置内の水素を高圧化)。
・一時的な需要拡大(上げディマンドレスポンス)を適切に評価し、余剰再エネなどの安価な電力活用促進。
なお、民間では2020年12月にトヨタ自動車が燃料電池車の新型「MIRAI(ミライ)」を発売しました。水素を燃料とする燃料電池車を普及させるためには十分な数の水素ステーション(インフラ)が整備されなければなりません。逆に水素ステーションへの投資を増やすためには、水素自動車などが大量に売れ、需要が増えなければなりません。つまり、水素を普及させるためには、この鶏と卵問題を解消する必要があります。
トヨタ自動車はこの鶏と卵問題を解消するために、MIRAIのシステムを転用した貨物を運ぶ大型のFCトラックの開発を行っています。
10トン以上の荷物が積めて長距離の幹線輸送に使用される大型トラックになると、最大積載時の総重量は二十数トンに及ぶため、EVで長い航続距離を確保するのが難しい。仮に東京ー大阪間に相当する500キロメートルの航続距離を確保しようとすると、約4トンもの電池の搭載が必要だ。それでは重量などの制約から、最大積載量を今より大幅に減らさざるを得なくなる。
そこで大型トラックでは、航続距離を伸ばしやすく、燃料充填時間も短いFCVの技術が注目されているわけだ。走行ルートが決まっていることの多い商用トラックなら、水素ステーション数の問題は乗用車より解決しやすい。
週刊東洋経済 2021.2.6 より引用
このように、水素を利用した燃料電池車の強みが活かせるFCトラック分野でインフラを拡充することで、MIRAIの魅力度を高め販売数を伸ばし、更にインフラを拡充するというサイクルを作ろうとしていることが伺えます。
※以下はインフラ拡充と燃料電池車の需要増加の鶏と卵を解消するサイクルを筆者が作成しました。
以上、カーボンニュートラル(脱炭素社会)における水素の立ち位置を説明しました。